釘抜地蔵尊 霊験寺について
釘抜地蔵尊霊験寺について
釘抜地蔵尊 霊験寺の由来
福岡県宮若市下有木(しもあるき)字中有木(なかあるき)(旧宮田町)有木山地蔵院霊験寺の本尊を釘抜地蔵尊と云う。今から約千三百年前の養老二年(西暦七一八年)僧行基上人諸国巡礼の砌、自ら安産子育ての悲願を籠めて彫刻開眼し、一宇を建立、その本尊佛として奉祀せられし霊像と伝えられる。(因みに地蔵菩薩を本尊佛として祀られし寺院は全国にも極めて稀である。)
信者、此の尊像に詣でて諸々の悩み苦しみ、種々の除災を祈り、又、針・金釘・竹釘の類が体に折れ込み困苦の時、此の菩薩に願を立てると直ぐに抜け出て、諸病平癒した事から此の本尊を釘抜地蔵尊と称える様になった。
爾来数百年を経て、宗像菅領家の帰依厚く寺領寄進・諸堂建立せしが、天文一年四月宗像の戦いにて惜しくも兵火に罹り本堂坊舎残らず灰燼に帰したが篤信の者に依り、本尊のみ辛うじて難を免れその後小堂を建立し之に祀り奉る。
現在の本堂は昭和十七年、時の住職良珊師により新築発起し数多くの信者の報謝にて建立せられた。本堂入口正面に掲げられた[抜苦殿]の大文字は地蔵尊に各人それぞれの心身の苦しみを抜いて頂き幸をお祈りする意を表している。
されば釘抜地蔵尊・苦抜地蔵尊・或いは地名に依りて「有木(あるき)のお地蔵様」と呼ばれ、日々、参詣者多く殊に地蔵菩薩誓願の
第一に女人泰産とあり安産を祈願し
第二に子供の無事成長を祈り
月参りの人々があとを絶たず、お線香の煙が耐えることが無い。
又、年三回の大祭があり、特に秋の大祭には露店が軒を並べ大賑わいを呈する。
信者、此の尊像に詣でて諸々の悩み苦しみ、種々の除災を祈り、又、針・金釘・竹釘の類が体に折れ込み困苦の時、此の菩薩に願を立てると直ぐに抜け出て、諸病平癒した事から此の本尊を釘抜地蔵尊と称える様になった。
爾来数百年を経て、宗像菅領家の帰依厚く寺領寄進・諸堂建立せしが、天文一年四月宗像の戦いにて惜しくも兵火に罹り本堂坊舎残らず灰燼に帰したが篤信の者に依り、本尊のみ辛うじて難を免れその後小堂を建立し之に祀り奉る。

現在の本堂は昭和十七年、時の住職良珊師により新築発起し数多くの信者の報謝にて建立せられた。本堂入口正面に掲げられた[抜苦殿]の大文字は地蔵尊に各人それぞれの心身の苦しみを抜いて頂き幸をお祈りする意を表している。
されば釘抜地蔵尊・苦抜地蔵尊・或いは地名に依りて「有木(あるき)のお地蔵様」と呼ばれ、日々、参詣者多く殊に地蔵菩薩誓願の
第一に女人泰産とあり安産を祈願し
第二に子供の無事成長を祈り
月参りの人々があとを絶たず、お線香の煙が耐えることが無い。
又、年三回の大祭があり、特に秋の大祭には露店が軒を並べ大賑わいを呈する。
境内のご案内


境内

境内

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本堂


お地蔵様


鐘楼

今月のことば

正面入口




手水舎